2007-10-24-Wed あそこは、やはりビジネスのお客様が大半で料理と言ったら宮崎名物のチキン南蛮、地鶏、冷汁、いわゆる宮崎名物【三種の神器】がほとんど。

自分のやりたい事とか、フランス料理とはあまり関係なかったのかもしれません。なんだかんだでそこに6年居まして、新たな次の展開を考えているときに今の盟友ソム高橋が宮崎に帰郷する運びの時に【よし!じゃああの時広島通でやり残してた悲願のビストロ料理店をもう一回やろうじゃないか!!】となり、今のシャンブルの運びとなった訳です。

その6年間の当時を思い返すに、従業員としての料理長なら自分のやりたくない仕事は断って、次の新天地を目指せば良いかもしれませんが、オーナー兼シェフとなると、諸般の事情というものが絡まって来て・・・思うように事が運べなくなってしまいました。

まあ、それもこれも事業主である以上全部自分に【非】があるわけで、お客様や従業員にその責があるわけではないので、あの時はお客様がそれを望んでいる以上はそれをやらなければいけない状況でした。

自分としてはその当時は不本意なやり方だったと思いますが、お客さまの立場で考えてその当時来てくださっているお客様は満足してもらえるような仕事をしたと今では思います。あの経験は今後の私たちの事業をやっていく上で必ず近いうちに役に立ってくることだと思います。
いわば、だれも見向きもしない甘味の無い仕事を、自らが買って出て6年間もやった訳ですから・・・
中国の古人が言う、【人が避けて通るところに本当の真実があり、そこを買ってでもする人は100人中一人かもしれないが、その人はほかの人が見えない部分が見えているので今後大成するだろう。】と・・・回りくどいですが平たく言えば【人が嫌がる仕事を進んで自分がしなさい】と言うことです。 スミマセン・・・自慢のように聞こえますね・・・

結局、僕は6年間は鞘に収まってたわけです。